2017年10月1日日曜日

年間第26主日

第一朗読:エゼキエル18・25-28
第二朗読:フィリピ2・1-11、または2・1-5
福音:マタイ21・28-32

皆さん、おはようございます。
皆さんご存知のように、私は天使大学の教員です。
大学で学生達によい専門職の看護師、管理栄養士、助産師になるように教えています。
彼らは日本の国民と、世界中の人々の健康な生活を守り、回復させるために勉強しています。
やはり、私達人間にとって、健康な状態は一番大切なことです。
病気になってしまえば、人生の夢の足かせになります。
普通健康は、身体的な健康と考えています。
しかし、イエス様が心の健康も大切だと考えていました。
今日の第一朗読と福音の例えは私達の心の健康、モラルについてです。
今日の福音の例えのお父さんはかわいそうでした。
愛する息子達が誠実ではありませんでした。
皆さんも、このお父さんと同じ体験があったでしょう。
家の中でも、仕事場の中でも時々私達は人の助けてもらうことがあります。
「はい、助けますよ」と答えてくれますが、実は助けてくれないこともあります。
その時はとても困りますね。
イエス様も何回もその問題にぶつかりました。
ですから、イエス様が私達の大変な人生を深く理解します。
実は、この悪い習慣は聖書の始めから現れていました。
皆さん覚えていますか?
聖書の始めの部分で神様とアダムとイブが登場します。
そして、天のお父様がアダムとイブに「この楽園は皆さんの家です。この中で色々な木の種類があります。
しかし、善悪の知識の木からの実は食べないでください。」と言われました。
そして、アダムとイブが神様に「はい、分かりました。」と言い、そして次の日その木から実を食べました。
私達天のお父様の素晴らしいことは、私達人間に自由意志を与えることです。
やはり、私達人間は神様のロボットではないですね。
神様が自分のお願いに応えることはとても嬉しいです。
その中で、一番従順な模範はイエス様です。
イエス様の言動と行動は一緒でした。
その人格を通してイエス様がアダムとイブの失敗を正しました。
そして、私達人間に素晴らしい人格の模範を表しました。
イエス様のようにいらっしゃった目的は、私達のアダムとイブのような悪い習慣をやめさせて、もっとよい道に進めるよう教えるためにきました。
よって、今日の福音でこのような例えを話しました。
福音の例えの中の長男はイエス様の時代のユダヤ教のリーダー達です。
彼らは、神様の仕事をしようと言葉で言いましたが、実はしませんでした。
当時のリーダー達はかわいそうな人々、病気になった人々、罪深い人々のために差別の態度を持っていました。
ちょうど神様がその人々を救うために、イエス様はこの世にいらっしゃいました。
彼らは間違えながら自分の弱さを理解して、正しい道に戻るために、イエス様の招きを受け入れました。
ですから、その例えの中の弟は、その病者、罪人など可愛そうな人々のしるしです。
天のお父様は大きな心を持っています。
私達の改心のために、忍耐を持っています。
カトリック教会を建てる目的はイエス様の仕事を続けることです。
私達の言葉、行い、態度を通して、可愛そうな人々を神様の家に招きます。
私達信者達がモラルある生活ができますように、三つの原則があります。
一つ目は神様の恵みを信頼することです。
私達の祈りの生活を通して、恵みを受けます。
もちろん恵みは目で見えませんが、一つずつの秘跡を通して受けていますし、1つずつのロザリオを通して受けますし、1つずつの愛の業を通して、恵みえお受けることができます。
二つ目の原則は個人の責任です。
私達の言葉と行いのために責任があります。
ですから、言葉を言う前、活動前に、黙想することが大切です。
イエス様の別な例えでよいアドバイスを言われました。
「あなたがたは、‘然り、然り’‘否、否’と言いなさい。それ以上のことは、悪い者から出るのである。(マタイ537)
三つ目はよいモラルの生活をするために、自分を忘れることです。その意味は、相手のニーズを満たすことが最も大切です。
そのポイントは、聖パウロがフィリピ23-4節に書かれています。
どうぞ皆さん、頑張りましょう。
皆さん、私達は本当に罪人です。
しかし、私達は間違いを認めていますので、リフォームした人々です。
イエス様の弟子達聖パウロも同じです。罪の内容は必ず間違った行動をすることをすることではなく、善行しないことは罪です。
やはり私達、間違えからんで学んで、生活の質をリフォームして、善行することは今日の福音の善い息子の模範です。

彼に従いましょう。